雄踏町の歴史調査 金山天神社について

当サイト主催者 太田アベルの出生地であり地元である、浜松市西区雄踏町の調査をしています。子どもICT学習クラブあつまれ!ゆうとう生の活動記事です。

 

 

雄踏(ゆうとう)という名前の由来となったといわれる「おぶみ村」。(おぶみの漢字については数種類の説あり)

伝説ではクマソ(熊襲)成敗のためにヤマトタケルノミコト(日本武尊命)が西方からやってきて、現在の金山天神社付近で休憩。

休憩後、(部隊に?/自分に?)気合いを入れるため足を踏みならし勝ち鬨を上げたことから、「ヤマトタケルが々しく踏みらした地(または雄々しく第一歩を踏み出したとも) 」=「おぶみ村」と呼ばれるようになったそう。

おぶみ村がなまり「宇布見(うぶみ)村」となった説も濃厚。ちなみに僕の在所は雄踏町宇布見です。

さらに明治22年、宇布見村と山崎村が合併し「町」と制定される際に、「ゆうとう」と読み替えられ「雄踏町」となったようです。

 

その金山天神社がどこにあるかというと、なんと雄踏図書館のすぐ裏にあるんですね!

 

図書館のこの静けさは、金山天神社の静けさから通じているのでしょうか。

 

雄踏図書館は7~8mの丘の上にあります。古代からここは小さな丘だったようです。何もない時代、きっと広々とした平地が見渡せたのではないかと、しばし古代の風景に思いを馳せます・・・

図書館を通らなくても、神社正面に石の階段があり、直接境内へ入れます。いやむしろこちらが正規の参道ですな。

子どものころはここの石垣を登って怒られました。まあ普通に危ないですよね。自分が親だったら絶対に登らせません。(笑)

小学校の石垣も登って怒られました。当時、もしボルダリングがいまほどメジャーになっていたら、きっと教室に通いたいと言っていた思う。もちろんいまはちゃんとしたボルダリングの施設で登っています。

 

金山天神社の石碑と由来の立て札。ヤマトタケルの一説が書いてあります。

図書館に行った際に拝んでいくと御利益があるかも!

金山天神社の立札。由来にヤマトタケルの話が書いてある。

 

ちなみに雄踏図書館に入ったところにも、2mほどのヤマトタケルの像が置いてあります。雄踏町には大切な伝説のひとつとなっています。

 

雄踏近辺でのヤマトタケルの伝説は「おぶみ伝説」ぐらいしか見つからず、もう少しディテールがないのか、まだ調査を続けています。

[su_yutosei_katsudou mokuteki=”ヤマトタケル伝説がどのように伝わっているかを調べ、実際に記録されていることを確かめる。” katsudou=”ヤマトタケルが休んだと伝えられる金山天神社をたずね、伝説がどのように表現されているかを確かめた。” seika=”身近な場所に実は伝説や言い伝えが息づいているということがわかった。 ヤマトタケルは伝説上の英雄ではあるが、実際に土地やゆかりの場所を訪ねることで、本当にいたような感覚を覚えた。”]

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